ノスタルジックに稲刈りの思い出から
文字活字文化を思う

 

                                所長 川崎 弘

 9月になりました。猛暑の8月が過ぎましたが暑い日が続いています。皆様お変わりございませんか。

 作物の生育にとっては、ある程度の日照は必要ですがこのところの猛暑は生産者にとっても物流に携わる方々にとっても過酷としか言いようがありません。私たちは涼しい部屋の中でそれらを食しているだけですのでなんだか申し訳なく思います。

 私の母方の実家は佐賀県江北町(こうほくちょう)というところで農業を営んでいます。現在は、跡取りがいないため玉ねぎなど畑作を中心に規模を縮小していますが、以前は稲作を中心に大規模に行っていました。当然、田植えや稲刈りなど人手がかかる作業は部落全体で人を出し合い計画的に行われていました。私は週末ごとに親に連れられていき、あぜ道でいとこや近所の子どもたちと日が暮れるまで遊んでいました。50年以上前のことです。農作業も手作業から機械化されはじめたころでした。あの稲のにおいはわすれられません。

 強引に文字活字文化から考察しますと、各農家の家庭には日本農業新聞(当時は農協が発行し九州地区は日刊ではありませんでした。現在は株式会社日本農業新聞が日刊で発行しています。)と、やはり農協が発行していた雑誌『家の光』くらいしかなかったのを覚えています。生活のすべてが農協を中心にまわっていたようです。
私が暮らしていた長崎も似たり寄ったりでしたが、本屋はありましたし、なんといっても新聞には広告チラシが入り夕刊もありました。子ども心にも毎日届く新聞にうきうきしていたことを思い出します。

 その佐賀の田舎にもイオンができました。(なんと平屋で広いんです。)もちろん食品も全国均一のものが売られています。本屋も入っています。ただ、それ以上にネットの波が入ってきています。あのインクのにおいにわくわくした感慨の経験を持たない子どもたちが増えています。私の娘たちも実家に帰ってきた時しか新聞本体に触れないようです。私たち世代の責任を感じます。いつもながらまとまらない内容ですみません。

 多くの皆様に支えられ、私たち職員一同これからも、これまで以上に皆様に利用していただける施設づくりを目指しますので今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。