『八月がくるたびに』

                                所長  川崎 弘

 

 8月になりました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。お変わりございませんか。

 いつも感染予防にご協力いただき感謝申し上げます。さらなる感染拡大が心配です。なんとかくいとめられるといいですね。
7月も本当に様々なことが起こりました。心がざわつかれている方も多いのではないでしょうか。

 そして8月を迎えました。長崎生まれの私にとって8月は特別な月です。多くの生物のなかで人間だけが大量破壊兵器を作り続けています。作る人間がいれば使いたがる人間もいます。その犠牲になるのはいつも末端の兵士であり、一般市民です。悲しむ家族が増えないよう武器ではなく対話で解決することこそ政治の力だと思うのですが、そういう流れには程遠くなりそうで懸念されます。

 8月6日に広島に、8月9日には長崎に原爆が投下され、8月15日に終戦となった昭和20年(1945年)の8月を私たち日本人は、いや世界中の人たちは決して忘れてはいけません。

 『八月がくるたびに』(おおえひで作、篠原勝之絵)は1971年に発刊され、現在は理論社から出版されています(2001年刊)。私は長崎盲学校の小学部に通っていた時、夏休みの課題図書として読んだのが最初の出会いでした。長崎に原爆が投下された直後からの物語です。篠原勝之さんの絵とともに訴えかけるおおえさんの言葉は今も忘れることができません。「だれが、どうして? だれが、どうして?」の言葉は、それこそ8月がくるたびに何度も何度も浮かび上がります。この図書は点字と音声デイジーでサピエ図書館にも登録されています。

 本来、こういう場で、それも所長の立場で信条を述べることが適当でないことは十分理解しているつもりですが、一向にやまないロシアとウクライナの状況、日本のこれからに少なからず影響をおよぼすであろう憲法改正論議、参院選の投票率も50%を切る国民の無関心さなどなどを鑑み憂えてみたところです。人が悲しむのはもうたくさんですから。(私の父方の祖母の遺骨は、満州からの引き上げの際、ソ連軍に追い立てられ、彼の地に置いたままとなっています。)まだまだ戦後は終わっていません。

 このような文章におつきあいいただきありがとうございました。

 多くの皆様に支えられ、私たち職員一同、これからも、これまで以上に皆様に利用していただける施設づくりを目指しますので今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。