久々に生演奏を聴き思い出すこと

                                所長  川崎 弘

 新年を迎えました。皆様いかがお過ごしでしょうか。新年早々私事で恐縮ですが兎年の2月生まれですので還暦を迎えます。童謡「船頭さん」では「村の渡しの船頭さんは今年六十のお爺さん」と歌われましたがまったく実感がわきません。

 新型コロナは治療薬が承認されましたので、近いうちにインフルエンザ並みに扱われるようになるのでしょうか。日頃からご不便をおかけし申し訳ございません。

 昨年11月19日には3年ぶりに「わくワークちばてんフェスタ」を開催しました。今年こそは人数制限なしに開催したいですね。また、11月27日には千葉市管弦楽団様より定期演奏会へご招待をいただきました。視覚障害啓発のための展示コーナーも設けていただきました。来場された皆さんにみていただくことができました。

 この二つの催しで久しぶりに生演奏に触れる機会をいただきました。最後に自分がステージに立ったのは37年前(1986年3月大学の追い出しコンサート)となりますが昨日のことのように思い出されます。高校、大学と吹奏楽をやっておりました。どちらも第一希望の楽器はできませんでしたが高校ではユーフォニウム(中低音の金管楽器)、大学ではファゴット(バスーンともいう木管楽器)でした。千葉市管弦楽団の平賀団長がファゴット奏者だったことで当時の話で花が咲きました。どちらも吹奏楽のなかでは地味な楽器です。最近、アニメで一躍有名になったユーフォニウムですが、きれいな旋律を演奏していても後ろのトランペットやトロンボーンにかき消されていたものです。ファゴットもオーケストラのアレンジ曲ですと見せ場があるのですがその他は大変でありながら報われない楽器でした。1983年の吹奏楽コンクールでは自由曲にベルリオーズ作曲の幻想交響曲終楽章「ワルプルキスの夜の夢」を演奏し、全国大会大学の部で金賞を受賞しました。全国大会金賞に国立大学が入り込むこと自体まれなことでしたので大学の地元仙台では大盛り上がりでした。全国大会の舞台では楽器ごとにマイクが立ちます。審査が厳密ということもあるのですが、金賞受賞団体の演奏がヤマハからLPレコードとして発売されるからでもありました。大学2年の川崎青年にとっては最高の一日でした。

 思えば中学は全校生徒1600名程のマンモス校でありながら音楽系の部活はなし、高校は新設校のため、吹奏楽部が出来たのは1年生の10月、それも野球部の応援をすることを条件に資金が集められ当時の金額で170万円ほどでバンド編成がなされました。ユーフォニウムの手ほどきをしてくださったのは三浦徹さん、知る人ぞ知るユーフォニウムの第一人者、大学のユーフォ吹きは三浦さんの指導を受けるため定期的に仙台から横浜まで通っていたほどです。新年早々自分のことで紙面を使ってしまい申し訳ございません。それでもまだまだ書きたりません。こんな私ですが今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 多くの皆様に支えられ、私たち職員一同、これからも、これまで以上に皆様に利用していただける施設づくりを目指しますので今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。