週刊朝日製作に携わっていたころ(その一)
所長 川崎 弘
7月になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。お変わりございませんか。
世間ではマスクを外す方がちらほら見えてきました。6月の中旬に久しぶりに大阪へ出張したのですが関西の方が関東よりノーマスク率が高かったように感じました。土地柄でしょうか。
さて、千視協では6月24日の評議員会において2年に一度の役員改選が行われました。その後の臨時理事会において新会長に今野正隆、新副会長に仲野明治、事務局長に石渡きよみ、総括施設長に川崎弘が選定されました。副会長、事務局長、総括施設長の3名が常務理事となります。どうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、週刊朝日が5月30日発売の6月9日号をもって101年の歴史に幕を下ろした件については先月号で取り上げました。今月号では私が製作に関わった思い出話を少々させていただきます。読み飛ばしてください。
私が音訳担当として千葉点字図書館へ赴任した1991年(平成3年)4月1日は月曜日でした。前の週までは日本点字図書館へ勤めていましたのでとてもあわただしい出勤となりました。前任者との引継ぎは3月中の1日限りというこれも現在では考えられないものでした。館長が山口芳夫氏から千田米蔵氏へ代わったのもこの時です。千葉朗読奉仕会(現、千葉点字図書館音訳会)の会長は坪井はるかさんで多くの皆様とともに新入りの私を暖かく迎えていただきました。建物は千葉市小仲台で冷暖房も十分でない有様でした。(まだ千葉市は政令指定都市になる前です。)
前置きが長くなりました。週刊朝日は当時水曜発売で火曜日の朝日新聞夕刊とともに配達されるのが最も早い入手ルートでした。本誌が届き次第、2時間分の記事選定作業に入ります。1号を3名で録音していただいていましたので、それぞれの録音時間が均等となるよう、トップ記事、人気のコラムは漏らすことのないように努めていました。一般発売が水曜でしたので、水曜の朝に記事の連絡を電話で行っていました。そして金曜に3名の音訳者に当時の点字図書館の大録音室へお集まりいただき、打ち合わせのあと、お1人が録音、お1人が機械操作、お1人が校正を分担し、記事毎に交替していただき、最終的に私が校正しその日のうちに完成させていただいていました。(8月号へ続く)
あらためてこれまでの皆様のご尽力に感謝申し上げます。
多くの皆様に支えられ、私たち職員一同、これからも、これまで以上に皆様に利用していただける施設づくりを目指しますので今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。