「軍艦島」が無人島になって50年
所長 川崎 弘
5月を迎えました。皆様いかがお過ごしでしょうか。お変わりございませんか。
今年は桜が遅かったせいか、満開の中で入学式を迎えられました。私は千葉県立千葉盲学校で学校運営協議会の御役目をいただいているため、5年ぶりとなる対面での卒業証書および修了証書授与式と入学式へ参列する機会をいただきました。3月15日には13名の巣立ちに、4月10日には22名の入学に立ち会いお祝いをしました。今年はセンターで懸命にITを学ばれ理療科へ見事合格された方もおられました。また、中学部へ進学したお子さんは小学部の頃から放課後にITを学びにみえています。それだけにうれしさもひとしおでした。入学された3歳から60代の方までの前途に幸あれと願います。
さて、今年は表題に書きましたように軍艦島が無人島になった1974年から50年となります。言い換えれば長崎県の端島炭鉱が閉山して50年となります。戦前戦後のエネルギーを支えてきた石炭から石油への転換が高度経済成長を後押しした時代の流れがそこにありました。
私は1970年度から1972年度までの3年間を長崎県立盲学校で過ごしました。同級生に自宅が端島の友達がいました。隣の高島炭鉱があった高島からきている友達もいました。私は長崎市内でしたので通学でしたが、皆、寄宿舎か寮(盲児施設)で生活していました。端島から来ていた友達はいつも「自分の島は未来都市なんだぞ」と自慢していました。高層アパートや6階建ての学校にエレベーターがあることをしきりにしゃべっていました。当時の長崎市内でエレベーターがあったのはデパートか大学病院くらいだったと記憶していますから当然ですね。世界一の人口密度と言われていましたが、あとで調べてみますと、当時の島の人口は5千人程度で、人口密度は1㎢あたり6万人を超えていたようですので、まぎれもなく世界一だったんでしょうね。最近は廃墟が人気のスポットになっているようですがその当時はあまり気にされていなかったという印象です。危険とは言われながらも大正時代に建てられた高層アパート群が過酷な自然に耐え、いまも残っているというのがすごいの一言です。
この軍艦島の最盛期を扱った長編小説があります。『新宿鮫』シリーズで有名な大沢在昌氏の『海と月の迷路』です。2011年から2012年にかけ毎日新聞へ連載され、2013年に単行本として発行されました。サピエに点字データと音声デイジーデータが収録されていますのでご興味のある方はどうぞ。懐かしくなりました。今月もお付き合いくださりありがとうございました。
多くの皆様に支えられ、私たち職員一同、これからも、これまで以上に皆様に利用していただける施設づくりを目指しますので今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。